音楽

記憶と音楽その1「初めて一人で行ったライブはフラカンのパワステだった」

NO MUSIC NO LIFEですよ

あなたの人生とは?

そう聞かれたら答えは決まっていた。

NO MUSIC NO LIFE

音楽をずっと聴いていたい。

この世のすべての音楽を知りたい。

音楽は人生をより華やかに、そして美しくしてくれる。

生きている理由にもなるかもしれない。

今でもそう思っている。

そしてこの気持ちがずっと続けばいい。

 

つらつらと音楽遍歴

音楽を聴くことが好きになったのは高校生になってからだった。

CDやレコードが並んでいる景色を見るだけで心が躍った10代。本当に楽しかった。

試聴したり、ジャケットを眺めてどんな音楽だろう?と空想する。

早く家に帰って音楽を聴きたかった高校時代。

 

高1の時に我が家にJ-COMが入った。

音楽専門チャンネルのスペースシャワーTVやM-ON、そしてMTV。

そこから流れてくる音楽をいつしか覚え、この曲は何だ?と調べるようになった。

そしてCDを買いに走り、だんだん好きなバンドが増えていった。

好きなバンドがでている音楽雑誌を探し始めた。

当時(1995年ころ)はROCKIN`ON JAPAN、音楽と人、R&R NEWS MAKERなど読んでいた。

ロッキンオンはまだ売れてないマイナー音楽雑誌で入荷数もわずか。

本屋さんで探すのが大変だった。

あの時の音楽と人はロッキンオンにいた市川さんが編集長だった。

まさかロッキンオンが売れてFESを主宰するほどになるとは・・・当時思ってもみなかった。

時の流れを感じますよ、本当に。

電気グルーヴの「メロン牧場 花嫁は死神」と「濡れてしびれて」は毎月チェックしていた。

だからロッキンオンとニューズメーカーはよく買っていた。

電気グルーヴは中学生の時にラジオを聴いていたのがきっかけで知ったのだけど、この話はまた別で。

 

吉祥寺のディスクユニオンとタワーレコード

よく行くCD・レコード屋さんといえばここで、あとは渋谷・新宿のタワレコ。

特典が比較的に良いという理由とポイント割引があったので、タワレコで購入することが多かった。

ディスクユニオンはお店の雰囲気が好きでよく行っていた。

後、忘れられないお店といえば渋谷WAVEだ。

当時、渋谷のWAVEでは「夕陽のドラゴン」という番組を生放送でやっていた。

ウルフルズのトータス松本とユースケ・サンタマリア(当時はBINGO BONGO)がMCをしていたスペースシャワーの番組である。

2年続いた夕陽のドラゴンは「ガッツだぜ」のリリース前からやってた。

ウルフルズのブレイクしていく流れと共にあった番組である。

ちなみにこの番組が終了してからすぐ「踊る大捜査線」が始まり、ユースケ・サンタマリアの知名度が一気に上がった。

そして、そのまた数年後に「新橋ミュージックホール」という音楽番組が始まった。

日テレだっけ?

トータス・ユースケとビートたけし司会の音楽番組で、夕陽のドラゴンリバイバルといった感じだった。

この番組のイベントにはがきを出したら当選して観に行ったのもいい思い出である。

残念ながら、渋谷WAVEも吉祥寺のタワレコも無くなっちゃったんだよな・・・寂しい限り。

 

一人で行くしかなかったライブ

当時、音楽の趣味が合う友達はいなかった。

独りで音楽を聴き、いつしかライブ情報も集めるようになった。

CDもいいけどやっぱりライブに行きたい!!そう思うようになっていた。

一緒に行く人は誰もいない。

もう1人で行くしかなかった。

初めてひとりで行ったライブはフラワーカンパニーズの新宿日清パワーステーションだった。

「俺たちハタチ族」のレコ発だったのか?

記憶が定かではない。

 

 

現在のようにSNSはほとんどない。

mixiもまだ広まっていなかったように思う。(数年後にmixiでライブ友達ができるようになったのは大きかった)

ネットでチケットを購入する手段はまだなかったように思う。

フラカンのライブチケットは雑誌で調べて、近所のセゾンカウンターで買った。

ライブハウスの場所は雑誌のぴあに載っている地図を頼りにしたと思う。

Google地図ももちろんない。

携帯電話はおろか、まだポケベルが出始めたころ。

雑誌や紙媒体を駆使していた時代。

 

思い出のパワステ

日清パワーステーション。通称パワステ。

残念ながらパワステも今はもうない。

2階がある円柱型のオールスタンディングのライブハウスで、中2階に食事ができるスペースがあった。

1階のフロアは下北沢のシェルターくらいだった気がする。

ウルフルズやサニーディサービス、ミッシェルガンエレファントなどもここでライブをやっていた。

対バンもよくやっていたな。

だんだん思い出してきた。

懐かしい。懐かしすぎる。

この頃は小室ファミリーが大流行していた時で、残念ながらバンドはあまり人気がなかったのだ。

スピッツも曲はいいのに売れないバンドとしてロッキンオンに登場していた。

後々、みんな売れていったのは嬉しかったなあ。

話がそれた。

ライブハウスのルールは今と比べると緩かったように思う。

まずダイブは禁止ではなかった。

フラカンのライブでダイバーはいなかったけどメロコアやパンクのライブ、あとスカ!

これはアザだらけになることが多かった。

メガネが壊れたり、頭にコブが出来たり(ダイバーの靴が頭に当たるから)、とにかくケガが多かった。

ライブハウスで少しでも前に行くなら靴はスニーカー、着替えは必須だった。

激しかったな~今ではもうできないことだ。

ひとりで行くライブでの醍醐味は、始まるまで待っている時間と電灯が落ちてSEが流れる瞬間を静かに楽しめることだった。

この時間はとてもいい。好きだった。

SEが流れると人がワーッと前に出ていく。

そして、メンバー登場。

最初は音が大きくてびっくりしたけど、いつの間にやら慣れていった。

音圧を体感してどんどんテンションが上がっていく。

初めてのひとりライブは楽しかった思い出しかない。

人目を気にせず好きなように踊って騒いで、音楽を浴びている空間が夢のようだった。

ひとり行動は中学生くらいからできていたので、気兼ねせずに楽しむことができた。

それからすっかりひとりでライブに行くようになった。

ひとりライブの始まりだったパワステよ、ありがとう。

 

今、ひさしぶりにフラカンの「俺たちハタチ族」を聴いている

初めて聴いたフラカンの曲は「アイアムバーニング」だったか「孤高の英雄」(ここうのヒーロー)だと思う。

とにかく衝撃を受けた歌詞。

なんなんだこれは!!

今読んでもやっぱりグッとくるものがある。

どこまでも内側に入り込む終わりのない孤独感。

特別なことじゃなくて、すぐ忘れてしまいそうな心の動きがスーッと入ってくる。

自暴自棄でもなく、自己肯定だけでもない。

「諦めること」と向き合う怖さを感じたことがある。

「妥協」なのか「折り合い」なのか。

そんな時に、何も考えなくてそのままでいいんだ。

素直に受け入れられた。そのきっかけになった曲がある。

 

今夜の空はきれいだな 星はまるで見えないけど

久々にいい夜だ この空に理由なんかいらない

 

ちょっくらいい感じなんだ 生きてるって感じなんだよ

気が付くと目が下がる 飲めないお酒も飲めそうだ

前を見ても 後ろを見ても 上を見ても 不安はあるけれど

嫌な奴らに 嫌な言葉を ふっかけられても 許してやれるだろう

~途中略~

一人でもいい 十分いい まったくいい あったか過ぎるほどで

うなってみたり もがいてみたり 自分に酔ったりしなくても大丈夫

なんとかなりそうだ なんとかいけそうだ とりあえず今夜みたいな 夜もあるんだから

フラワーカンパニーズ「なんとかなりそう」作詞:鈴木けいすけ

 

1996年11月21日にリリースされたアルバム「俺たちハタチ族」に入っている「なんとかなりそう」という曲。

そうか、20年以上前なのか。

このアルバムは思い出深い曲が多いけど「なんとかなりそう」は一番好きな曲だ。

大学受験・就職活動・社会人になってから・・・この曲に助けられたことが沢山あった。

頑張れば今よりももっと上にいける。

ずっとそうであればいいけれど、現実は違ったりする。

挫折といえば言い過ぎなのだろうか。

何かにつまずいたとき、どこを見るのか?

自分は自分でしかない。自分の気持ちを無かったことになどできやしないんだ。

それに気づかせてくれた曲のひとつが「なんとかなりそう」だった。

自分の人生と共にある曲。

初めていったパワステのライブではやらなかった気がする。

「なんとかなりそう」は日比谷野音ライブで演奏された記憶があるなあ。

ゆるい風があって、夜空が広がっていて、ステージのライトが輝いている。

こうやって書きながら、曲を聴きながら。

どんどん溢れてくる記憶があった。

 

 

いい人生送っているなって思った。

来年はいよいよ40族だ。

 

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