江戸川乱歩が好きです。
江戸川乱歩の本。出会いは小学校の図書館でした。
たぶん小学校3年生くらいの時だと思います。大好きになりました。
図書館にあった江戸川乱歩の本は全て読むほどハマりました。
当時読んでいたのが「名探偵明智小五郎シリーズ」です。
怪人二十面相に始まり、かなりの数があったと記憶しています。
図書室にないものは買ってもらい家で読みました。
当時一番好きだったのが「大金塊」です。
一番ショックを受けたのが一寸法師 (角川文庫)
でした。
劇画のような表紙の絵、おどろおどろしいものでした。
骸骨の絵とかちょっと怖かった。けれどそれ以上に好奇心を掻き立てられました。
とにかく推理小説が好きで読んでいました。
アガサクリスティーやシャーロックホームズ、シドニーシェルダン(懐かしい!)なども読んでいましたね。
溝口正史の本も読んだ記憶があります。
殺人事件に怪奇事件、殺す動機は大人の妬みや嫉妬などかなりえぐい内容です。今思えば。
犯行に至る動機は些細なこと。ちょっとの悪意が心の隙間に入り込んでしまうと後戻りできなくなる。
心の闇は誰にでもあり、どんなに小さくても深いのだ。
読めば読むほどに思う。果たして犯人は本当に悪なのかと。
アガサクリスティのオリエント急行殺人事件、有名な話ですが殺されていい人などいないという常識が揺らいでしまうような内容です。
ファンタジーよりも現実的で人の醜い部分も描かれるのが推理小説なんだろうなと思います。
そんな小説を小学生の時に読んでいたのかと思うと…やはり、ませていたのかもしれません。
先日、子供の頃に読んだ本の話で江戸川乱歩の話題になりました。
江戸川乱歩の人間椅子ってド変態の話ですよね~って言われるまで気が付きませんでした。
なんだって・・・???
そんなに変態でしょうか?
確かに読み返すと
変態的な犯罪嗜好癖があった(屋根裏の散歩者より)
なんて書いてあります。
「〇〇〇というのは、マルキ・ド・サドの流れをくんだ、ひどい残虐色情者で、何という運命のいたずらでしょう。一軒おいて隣に、女のマゾッホを発見したのです。古本屋の細君は彼におとらぬ被虐色情者だったのです。」(D坂の殺人事件より)
なかなか衝撃的な内容ですね。
以下、D坂殺人事件のネタバレです。読みたくない方は飛ばしてください。
この事件は古本屋の細君(奥様の意)が同じ長屋の蕎麦屋の亭主に殺されてしまった事件を明智小五郎と私が犯人を見つけ出すという話です。
蕎麦屋の細君と古本屋の細君は体中に多くの生傷があったことが犯人捜しのヒントになっています。
(それが上記の引用につながる、〇〇〇は蕎麦屋の亭主ということです)
また、そのことを古本屋の亭主をは黙って知らないふりをしていました。
蕎麦屋の亭主と古本屋の細君は誰にも知られずに姦通していた。
そしてお互いの性癖の度が過ぎて蕎麦屋の亭主は古本屋の細君を殺してしまった。
古本屋の細君はむしろ殺されることを望んでいたのかもしれない・・・そんな余韻を残しています。
「狂態が漸次倍加されて行きました。そして、ついにあの夜、この、彼らとても決して願わなかった事件をひき起こしてしまったわけなのです・・・・・・」
と明智小五郎が結論付けて話は終わります。
江戸川乱歩を好んで読んでいた小学生の私はこれをどう読み取っていたのでしょうか。
うーん、どうだったのかな。
人間の本性とはなにか。それはよく考えていました。
事件を解決することよりも、その事件に至るまでの経緯や犯人の心情に興味がありました。
犯人も探偵も被害者も同じ人間である。それ以上でもそれ以下でもない。
そして人間の本性はさほど汚いものではない。だが特別美しくもない。
その人にしかない唯一のもの、それが本性なのかな。そう感じていました。
思考を巡らし、文章を読んで想像をする。そうすることで心が動きます。
自分は一つですが、本を読むと様々な人物になりあらゆる角度から物事を見ることができる。
人間とはなんぞや。そんな問いかけをされているみたいです。
面白いですね。江戸川乱歩の魅力だと思っています。
しかし、当時の読書感想文には書けなかったですね。何と書いていいかわかりませんでした。
ドロッとした嫌悪感。それもまた人なのかもしれない、と何かを肯定したい気持ち。
罪を犯したいという自分を満たすための欲望。
私もそんな気持ちになってしまうこともあるのかという疑心暗鬼な不安。
でも、きっと大丈夫という根拠なき自信。
しかし、殺人事件の話を読んだからといって殺人をしたいなんて思ったことは一度もありませんでした。
小学6年生のときに心理カウンセラーになってみたいと思ったことがあります。
人間の心が知りたいという探求心がありました。
カウンセラーがどういう仕事かよく理解していなかったのですが、心理を知ることに興味があったのです。
(余談ですが、心理カウンセラーという職業を知ったのは漫画「星の瞳のシルエット」からです。)
真実はいつもひとつ
名探偵コナンの主人公、江戸川コナンの名前の由来は江戸川乱歩とアーサー・コナン・ドイル(シャーロックホームズの作者)です。
コナンの決めセリフは「真実はいつもひとつ」です。
江戸川乱歩が生み出した名探偵明智小五郎とシャーロックホームズはどこか似ています。
「僕の興味はただ『真実』を知るという点にあるので、それ以上のことは、実はどうでもいいのだ。」(「屋根裏の散歩者」より)
という明智小五郎の言葉があります。
そう、真実はいつもひとつです。それをただ知りたいだけ。
単純な気持ちなんですね。
明智小五郎もホームズも、そしてコナンも真実に向かいただただ突き進んでいます。
そこにはただ知りたいって純粋な思いだけがあるのです。
本を読んで芽生えた私の興味はまさに真実を知る面白さでした。
それは今でも同じです。何かあるとまず真実を知りたいと考えます。
真実をどう捉えるのか?これが個体差であり個性となるのではないでしょうか。
考え方の違い、同じ真実を見ているのに色も形も違うという現象。
どちらも間違ってなどいません。どちらも本当なのです。
捉え方は千差万別。同じ人は一人としていないはずです。
真実を知りそれをあらゆる角度から見たい。更なる興味が湧いてきます。
だからこの人はこういう発言をしたのか。こう見えているのか。
相手の気持ちや言葉から見える真実が自分とは全く違うことに気が付くと見えなかった世界が見えてきます。
一つの真実をどうみているのか。
様々な見え方から一つの真実を見つけるにはどうしたらよいのか。
やっぱり明智小五郎はすごいんですよ。
明快さ、潔さ、真実をとらえる的確さ。
読んでいてドキドキします。なんて魅力的なんでしょう。
真実が分かれば分析できるのでしょうか。
いやいやそんな簡単に分析なんて言い方はしてはいけないのかもしれません。
人の心は案外単純です。
そしてどんなに小さくても自分が思っているよりも深いのだと痛感するのです。
心の深さがあるから滲み出る優しさがあったり、味気ない人と思ったり、個々の色を放ったりする。
深さ=心の広さ、器の大きさ
何度も繰り返し考えて感じて、私たち人間は生きていくんだろうな。
この文章を書きながら少しばかり妄想めいたことが浮かんでは消えて頭の中をぐるぐると巡ります。
いくつになっても楽しく読むことができる本。何回読んでも飽きません。
江戸川乱歩の世界は不思議と子供の時に見ていたものとあまり変わらないんですね。
本の世界は無限大で自由です。
今年に入り、スマホを触る時間を減らしたいと考えていました。
Facebookアプリをスマホから削除して暇になった時は本を読む時間に変えました。
スマホ触っていると手がしびれることがあるので丁度よかったです。
本を読む楽しさを味わい感じることがこれほど楽しいとは!
自分が楽しいと思うことにもっともっと時間を使いたいですね。
江戸川乱歩の本、ご興味があればぜひ読んでみてください。
おすすめです。
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