時間があることは豊かである。
全てが時間に追われずに、ゆっくりと好きなペースでできること。
豊かな生活には美味しい食事と音楽がある。
温泉と本とコーヒーがあればもっと良い。
解き放たれたような自由な時間。
やろうと思えばすぐできる。
しかし、その一歩を踏み出すには少し勇気が必要かもしれない。
自分が豊かだと思う自由とは。
一体どこにあるのだろうかと考えることがある。
自分が考える自由には、自由と同等に自己責任がもれなくセットで付いてくる。
誰かのせいにもできないし、何かのせいにもできない。
全てを自分で引き受けることが自由への道。
自分をどれだけ信じているのか、おおいに試されているのである。
今、わたしはこの社会で生きている。
屋久島にきてから都会とは違う地域社会が目の前にある。
そこで強く意識するようになったことがいくつかある。
・自由と何でもありは違う
・公私を混同してはいけない
・パブリックスペースは家ではない。空気を読んで気を遣え
・ルールを変えたいと思ったら、ルールを熟知しルールを守れる人にまずなろう
・よく見て分かっている人ほど黙っているぞ
都会よりも人との関わりが密になる。
どこに行っても誰かと会うし、不在にすれば車がないから出かけていたと近所の人にすぐ
バレる。
当然、家にいるのもバレる。
どこにいても誰かの目がある。
それを不自由と取るか、誰かの目があるから安心と取るか。
周りの目を気にしないことが自由だと感じていた時もあるけれど、人との関わりが増えるにつれて自由の形が変わってきている。
屋久島は人口12000人を切っている。
知り合いや繋がりのある人と遭遇する確率は圧倒的に高い。
ここ数年、コロナ禍になって地域社会の助けに救われたことが何度もある。
社会との関わり・人との関わりは大きなギフトであると実感した。
反面、どんなに嫌いな人でも誰かとどこかで繋がっているし、ちょっとしたことでも誰かを通して拡散されてしまうことも多々ある。
自分が言ったこと・やったことが分かり易くすぐに自分に返ってくる。
人の話には尾ひれが付く。とんでもないデマになっていることも少なくない。
そんな時に何となく合わせて流されてしまうと、その誤魔化しが自分に戻ってくる。
自分でよく考えること、自分の言動に責任を持つことが不可欠である。
例え悪い噂を言われたとしても自分がブレなければなんてことはない。
受け取らなければ悪口を言った人にただ戻っていくだけである。
そう、
自分に責任を持つことで、しがらみに囚われず自由でいられるぞ!ということなんじゃないか。
という結論である。
自分の座右の銘のようなものがある。
・親しい人ほど気を遣え
・知識は荷物になりません。あなたを守る懐刀
ウソ情報に振り回されないように知識をつけた方がよい。
ネットで検索しなくても自分の頭で分かることって大事だと思う。
無駄な時間を取られない、これも自由への道なんだと思う。
写真は最近作った料理。
おいしさは味だけではない。
自分で丁寧に作る時間や心の余裕も含まれている。
「しあわせはいつも自分の心が決める」
あいだみつを氏の言葉が書かれたハガキをもらった。
自由も豊かさも、
全て自分の手の中にあることを人は時々忘れて不安になってしまう。
これも「人間だもの」に繋がるのかなあとぼんやり考えてしまった。
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