Facebookの投稿を始めて11年くらいは経っているようだ。
今日、2022/10/02のタイムラインのトップには2013年の今日の投稿が現れていた。
9年前である。
屋久島の移住を機にSNSの繋がりの整理をした。
今は友人やランコミュニティの方々とのやり取りなどをメインにしているためFacebookはオープンにはしていない。
Facebookは止めようと考えていたので、フリーのインスタとTwitterへの移行をアナウンスして極力繋がりを減らした。
正直なところ、誰だっけ?という人もそれなりにいた。
おそりく旅行先や何かのイベントで一緒になったとかだけど、以来やり取りもなくすっかり忘れてしまっていた方も多かった。
また投稿が長期に渡りない方、他のSNSでフォローがある方、メッセンジャーで特にやり取りが無い方も外した。
結果として、目にしたくないものが減った。
家族の不和や愚痴なんて見るだけで気分が滅入る。
ましてやブロックした・しないなども知らないコミュニティや友達同志のトラブルなど、特定の人にしか分からない投稿をする人も同様。
本当にどうでもいい投稿は見たくはない。
楽しい投稿が並ぶタイムラインにしようと思った。
そんなFacebookだったが、屋久島では驚くほど利用することが増えた。
リサイクル情報や島内のお知らせなど、生活に関わる知っておきたい内容が案外Facebookから流れてくるのである。
行政の発信よりFacebookの投稿の方が早くて正確なこともある。
そんな訳で、結局のところFacebookを止めずに今に至る。
そしてFacebookを開く機会が少し増えた。
そんな昨今、Facebookの過去の投稿をお知らせしてくれることがある。
これにハッとさせられることが幾度かあった。
9年前の今日、10/3の投稿に面白いことが書いてあった。
静かな夕暮れ、静かな西浜です。
この夏は激流に飲まれるように自分の意思を超えて様々な人に会い、学びここまで来た…というか気が付いたらここに居たな、と。
自分の人生は自分で切り拓いてもいるけれども、あらかじめ決められているものを確認しながら進んでいる気がします。
これからどうなるのか、ビジョンが見えていても不安になるのはやはり俗世を生きる地球人だからでしょうか。
海を眺めながらつらつらと。
西浜とは神奈川県茅ヶ崎市にある。
当時、わたしが住んでいた場所から西浜は近かった。
なんてことを言っているのだろう。
これを投稿した当時は過労で倒れ、会社を1年ほど休職し退社することを選んで数ヶ月という状況だった。
パニック障害という診断を受けた。
突然、全く電車に乗れなくなってしまった。
狭い車、混んだバスもダメだった。
過呼吸を起こして突然倒れるという事態も何度もあった。
人混みが歩けなくなってしまった。
薬も1年間飲んだ。
飲み続けることが苦しくて、自力で断薬もした。
正社員だったから、傷病手当などが出た。
大手企業の社員でいることのありがたさ。
休んでいたけれど生活ができた。
それでも、1年休んでもう今まで通り働くことはできないと諦めた。
手放した、なんてきれいごとでは済まされない状況だったと思う。
大きな葛藤があり、頭で考えても何も進まないと悟った。
あんまり好きではないのだ、手放しましたって言うの。
そんなに簡単じゃないだろ、人間なんて。
今でもそう思っている。
自分ではどうにもならないことがいかに多いか、それを知ることになった大きな出来事だった。
今となってはぼんやりと薄れてしまっているが、この投稿を読んで蘇ってきた気持ちがあった。
ですよね、としか言いようがない笑
コロナ禍。
どうにもならない大きなきっかけ、それはわたしだけではないだろう。
9年後のわたしは、随分と似た状況下にいるな。
何もしていないとはどんなものか?
仕事が人生の全てではない。
何かを見据えている状況は盛大に頭も心も動かしているのだけれど、それは自分にしか分からない。
目に見えないものが、まず動く。
節目。
そういうことなんだろう。
そうそう、わたしは俗世を生きる地球人だった。
写真は屋久島の明星岳の山頂より。
安房区が一望できる前岳である。
山から見る景色はさらに美しい。
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