しっかりとした味付けのものを欲している。
このところランニング仲間と走る機会が増えた。
水曜の朝のランニングは継続しつつ、ペースを一定にしたロング走をやろう!ということになったのである。
そうして週1回でナイトランをするという習慣が新たに始まった。
このままだとウルトラ走るのかな?ってくらい走行距離が一気に増える。
悪いことではないが、走ればエネルギーの補給も必要となる。
となれば、やっぱり肉。
ちょっと濃い味も欲しくなるのです。
今日のお昼ごはんは中華と決めていた。
鶏のセセリをオイスターソースと豆板醤で味付け。
ご飯に乗せればセセリの焼肉丼の出来上がり。
簡単ですぐできる、
盛り付けはブロッコリースプラウトを乗せて白胡麻を散らして彩りよく。
今は屋久島産のお米をいただいている。
小島で作られたお米。新米。
今回は生姜と少し塩を入れて炊いた。
小島のお米は美味しくて食が進むので無くなるのが早い。
肉を焼く油は熊本県の坂本製油さんの純なたね油を使っている。
この油がとても美味しい。
(屋久島では宮之浦にある椿商店さんで購入できる)
もたれない、さらっとベトつかず、溶けるような油。
鍋とか洗うときに落ちやすいような気がする。ギトギトしない。
使ってみてよいこと尽くしだ。
だから油は酸化しにくいできれば添加物など入っていない良質なものを使おうと意識するようになった。
油は年齢を重ねるほど大切だと感じている。
悲しいかな、本当に油分が無くなってくるのである。
こうしてシワになっていくのか、という過程をここ数年で自分の顔や身体を見て実感する。
年相応で良いと思う。
だが、もう少し綺麗でいたいと抗う気持ちは少なからずある。
長年アパレルで働いていたせいなのか、ファッションや美容について意識を怠らないようにしたいと思っている。
美容を忘れてはいけない。
何も手入れをしない姿が年相応ではないだろう。
若づくりと手入れをすることは別ものである。そこも少し意識したい。
まあ、できることはやってみる。
美容について、食事を重視しようと思うようになったのは40代になってからだ。
元々乾燥肌なので化粧水などで保湿も大切なのだが、それだけでは追いつかない現実がある。
食事からのアプローチは年齢を重ねるほどに肌などに如実に現れる。
食事は自分との対面である。
さて、写真の料理についての続き。
セセリを焼いた鍋に水を入れてスープも作った。
油のついた鍋でそのままスープを作った方が後で洗うときに楽になる。
それだけではない。
屋久島の生活をしていると気がつくのだが、都会のようなしっかりとした浄化槽があるわけでもなく、排水の管理も万全ではない。
家での排水が目の前の川や海に流れていく。
下水や排水がどこを流れていくのか、行き着く先はどこなのか。
自分たちが飲む水はどこからやってくるのか。目の前にあるこの川の水である。
わたしたちが排出するもの、わたしたちが取り込むもの。
全ては同じだと突きつけられる。
暑いときは川や海に入る。
この水だって同じなのである。
結局のところ、流したものは自分に戻ってくるのだ。
トイレも水洗もあるけれど、汲み取りも多い。
むやみに水を流したらどうなるのか?
自分で流したものは消えない。
水の循環を想像すれば自ずと生活は変わってくる。
自分たちが流したものがどうなるのか、
都会の暮らしではあまり意識出来なかったことが島の暮らしではよく分かる。
ゴミについても同じ。
洗剤も必要最低限を使うようになった。
使った鍋をそのまま別の調理に使うようにしたり、出来るだけ油は拭いてから洗うようになった。
お皿に残った油はパンに付けるとか工夫をしている。
使う食材、調理の手順、残さず食べられるものを作る。
屋久島に住んでから意識するようになったことは数えきれない。
スープはとても簡単で、里芋とマコモを入れて煮る。
少しの塩と醤油で味を足して最後に溶き卵を入れてる。
マコモダケ・里芋は屋久島産のもの。
以前住んでいた茅ヶ崎でも地産地消をもじって「茅産地消」と銘打って地元の野菜や果物牛肉などを売り出していた。
地のものを食べたいという気持ちは、自分が生きている場所に愛着があり大事にしたいという想いそのものなのかもしれない。
住んでいる土地で生産されたものをいただくことは豊かであり、喜びである。
生活には沢山のストーリーが詰まっている。
今日のお昼ごはんを作った話を書いていたら細部まで潜り込んでしまった。
生きていることの実感は目の前に溢れていて、小さな積み重ねが日々の生活となっている。
美味しく食べることは小さな積み重ねが大きくなったしあわせである。
食べることは生きること、
今日の夜は何を食べようかと考えている。
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