マラソン

ウルトラマラソンを走るための妄想と準備

文章を寝かせると違った味わいが出てくる。

味噌のように、梅酒のように、人間のように。

ゆるやかに醸し出される味わい深さ、とでも言えばよいだろうか。

味わい深さを他の誰かと共有できなかったとしても問題はない。

自分だけが分かっていればよいのだ!

なんて。

自分で書いたものを一番面白いがって読む人は誰なのか?

他ならぬ自分自身だと思う。

時に頷き、今の自分と重ねる。

時に首をひねり、こんなこと考えていたのかと気が付かされる。

自分を俯瞰するきっかけにもなる。

ここに投稿する前に思いついたことを下書きに残している。

すっかり忘れていた下書きを見つけた。

3017年5月27日に走った横須賀・三浦みちくさウルトラマラソン100Kmを前に考えていたことを文字に落としていた。

今(2017年8月25日23時過ぎ)読んでいて、よし投稿しようという気持ちになった。

加筆修正をしたものが以下である。

 

———————————-

 

ウルトラマラソンを走るにあたり、やってきたことがある。

イメージトレーニングだ。

 

DSCF2963

 

メンタル大事!!そう思っていたのでイメージトレーニング(通称イメトレ)はしっかりやっていた。

現実をやんわりと逃避しつつ自信を付けるイメトレ。

ぶれない確固たるイメトレ、ここに行きつくまでの紆余曲折はこうだった。

「100km走る」そう考えると果てしなく長い距離である。

だからあまり考えていなかった。

100という数字のみをイメージしていた。

しかしながら、コースの地図を見たときに出た言葉は「うわ~こんなに長いのか・・・」だった。

現実を見てしまったのである。

しかも本番の3日前に。

「地図を見てこの距離を走る」と具体的なイメージと共に頭に浮かべて分かったことがある。

これは!!やばい。

現実から目をそらすイメトレはぶち壊され、途方に暮れそうだったので考えを改めた。

更に強いイメトレをすればよいのだ。

 

走るのではない、これは旅である。

 

自分の足で歩いて旅をするのだ。

藤沢周平の本「一茶」を読んでいたからだろうか。

分かりやすいイメージとしては水戸黄門でもよい。

松尾芭蕉でもいい。

その昔、人々は行脚して全国を巡っていた。旅とはそういうものなのだ。

しかもいい年齢の人も普通に歩いているではないか。だから大丈夫(なはずだ!!)

自分は横須賀から三浦半島をまわる旅人になればいい。

走るのではなく旅をするのだ。行脚だ。

このイメトレは効果があったように思う。

 

———————————

 

妄想が現実を救う場合がある。

この人いったい何を言ってるんだ?!

意味不明としか言えない内容だと思ったから公開していなかったのかもしれない。

しかし、当時の自分がやっていた気持ちの切り替えはこれだったのだ。

今ならわかる。

タイトルもそのままにしてある。なんか変だけど筋は通っている。

結果としては100Km完走はできなかった。

タイムオーバーで74Kmまでしか走ることができなかった。

走り終えた時に「100Km完走できなかった」ではなく「74Km走ることができた」という受け止め方をしている自分がいた。

充分に旅を楽しんだ、そう思えた。

そして次こそは100Km走りたい!!という気持ちが湧いてきた。

走った後の感想をFacebookに少し書いたが、ここにも残しておこう。

近日まとめたい。

「旅」という言葉が響いたのは、ウルトラマラソンを7月に屋久島で縦走ツアーをする前哨戦と捉えていたからだろう。

そのことについても忘れないうちに書き残しておきたい。

 

 

 

 

 

 

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